BIRDMANの前身がスパイス・グラフィックスという10名規模のデザイン会社だったことを
知る人は、今や少ないかもしれない。
チェ・ヨヌクさんは、BIRDMANがBIRDMANになっていく過程を知っている数少ない人物の一人。
2005年に韓国から来日し、2007年にスパイス・グラフィックスに入社したデザイナーだ。

2012年に第一子が生まれ、今は時短勤務で育児と仕事の両立を図っている。
「10年も日本にいるとは思わなかった」と笑うチェさんだが、彼女は確信を持ってこう言う。
「私は100歳になってもデザインをしていると思う」と。

2015.12.22

取材・文:岡本真帆 撮影:竹内冠太 進行:横川遥 監修:伊藤拓郎

「日本で働きたい!」と来日し、過ごした10年間

チェさんはあと2年でBIRDMAN在籍10年になるそうですね。

もともと、韓国にあるポータルサイトを手掛ける会社に在籍していて、日本でのサービス展開に対応するために日本支社に来たことが来日のきっかけでした。でも、まさか日本に10年以上もいるとは思わなかった(笑)。

学生の頃からデザインの勉強をされていたのですか?

大学時代は情報学科でプログラミングを学んでいました。本当は美術の勉強がしたかったけど、姉が美大を出ていたので二人そろって美大に行かせるのは難しいだろう…と、私はWebの分野に進むことに決めて。

当時はちょうど韓国の大学でもインターネットに関する学科ができ始めた時代だったのですが、とても可能性を感じたんですよね。それにPCでできるデザインというものに魅力を感じまして。途中から、プログラミングよりもWebデザインに夢中になっていましたね。卒業後はそのままWebサービスの会社に入社しました。

その後日本でデザイナーを続けようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

日本に残ろうと決めたのは、日本のデザインに魅力を感じていたからですね。当時私は韓国の歳で30歳、日本で言うと27、8歳くらいだったと思うんですが、雑誌の『デザインノート』に佐藤可士和や佐野研二郎、中村勇吾をはじめとするクリエイターたちのインタビューがたくさん載っていました。日本語はまだ全然できなかったけど、そのイメージを見てかっこいいなと思って、一つ一つ辞書で意味を調べながら読み込んでいた記憶がありますね。結局勤めていた支社は日本から撤退することになってしまったんですが、でも「日本で働き続けたい」という希望があったので、国内のデザイン会社に履歴書を送って、それから以前のスパイス・グラフィックスに入社することが決まりました。

BIRDMANに社名変更された時も、昨年のBIRDMANオフィシャルサイトのリニューアルも、BIRDMANのブランディングに関わるデザインはチェさんが担当されていますよね。過去のインタビューで「社名をBIRDMANに変えた時には、女性社員から反発があった」と読んだことがあるのですが、本当ですか?(笑)

そうそう(笑)。でも「BIRDMAN」の方が良かったと思いますよ。かっこいいし!
キャラクターが立った、尖った印象のブランディングに変わってから、BIRDMANには専門性に特化した人たちが集まってきたような感じがします。 初めは会社としてのまとまりよりもそれぞれの個性が「個人の色」として強く出ていたイメージですが、今は人数が増えて、点描画のように大きなBIRDMAN像ができあがっている。そんな気がしますね。

世の中の空気感をデザインに落とし込む

入社当時と現在で、チェさんのつくられているものに変化はありますか?

最初はブランディング系の仕事から始まって、そのあとプロモーション、そして育休復帰後は再びブランディングを中心にやっています。スマホやタブレットが出てきたり、Flashサイトがなくなってきたりと、デジタルを取り巻く環境に大きな変化はありましたが、私のデザインに対する考え方にそれほど変化はないかなと思います。

考え方というと?

私がその時代に対して何を感じているか、意識しているかという話になるんですが、そもそもWebデザインというのは、人に使われるためのデザイン。つまりデザイナーに与えられている役割は、最適なユーザーエクスペリエンスを考えることだと思います。 今を生きる人にとって最適なユーザーエクスペリエンスを追求するというのは、今という時代の空気感や人々の文化的背景をいったん自分に取り込んで、それをデザインに反映していくことだと思うんですよ。

なるほど!その世の中の雰囲気は、どういうところで察知されたり、吸収されていますか?

そうですね、以前は出かけたりイベントに参加したり、その場で感じることが多かったですが、子どもが生まれてからは当時ほど自由な時間がある状態ではないので、日本の本や雑誌など、普段からジャンルを隔てず読書をするようにしていますね。今の日本の文化や流行に敏感でいたいな、と。私は外国人なので分からないこともあるし、日本の若者の考えていることを今から体験することはできないので、読書という行為から自分の中に情報を集めています。

それをデザインに応用できるのは素晴らしいですね。

小説や雑誌、エッセイを読むことは一見デザインの作業とはかけ離れたことのように思えるかもしれませんが、私にとってはリファレンスの収集と同じことですね。読んでいる間はただその面白さや楽しさに突き動かされて読んでいるし、「これは今度のデザインに使えるな!」なんて意識して読んでるわけじゃないけど(笑)。いろんなことに興味を持って知識を得ておくということは、デザインをする上ですごく大切なことだと思うんです。
書籍から得た情報も、デザインの素材として頭の中の引き出しにしまわれていく。デスクの前だけでデザインするのではなく、引き出しを開け閉めしてぐるぐる考えながら、整理していくんです。「あ、これ使えそうかも」と思ったら、取り出してデザインに落とし込む。

なるほど。

私のデザインはどちらかというと派手ではなくて、シンプルで余計なものがないタイプ。伝えたいことをちゃんと届けたい、という思いでデザインをしています。 その中で今という時代感や文化的背景をデザインに込めていく作業は、面倒くさそうに思えるかもしれませんが、よりスムーズに“伝わるデザイン”へとアプローチできるような気がします。

IS JAPAN COOL? / ANA
日本の様々な文化や都市の魅力を世界へ発信し、日本への旅行需要を盛り上げることを目的としたプロジェクト。2014年のサイトリニューアル以降、全体のデザインを担当。

BIRDMAN ORIGINAL T-Shirt
BIRDMAN設立10周年を記念してつくられた、オリジナルTシャツのデザインも手掛けている。

育児をしながら、会社の最前線で働く

チェさんは育児をしながら仕事をされていますよね。お子さんが生まれて、生活リズムが大きく変化したと思うのですが、何か心境の変化はありましたか?

若い頃はたぶん、自分が妊娠したら仕事を辞めるつもりでいたと思うんですけど、実際に妊娠したときに、“子どもが生まれることを理由に、ここで自分のキャリアをストップする必要があるんだろうか?”と疑問に思うようになったんですね。子どもがちっちゃい頃には、母親の私が一番近くにいる必要があると思うんですけど、娘が生まれるから自分の人生を諦める、というのはちょっと納得ができなかった。

うんうん、分かります。

今は育児と仕事の両方を100%でできないこともあるんですけど、でも今だからこそできることもあるし、感じられることもある。時間が経てばまた違うことが見えてくるのもあるし、そうしてちゃんと社会人として働いている私の背中を子どもには見てもらって、何か彼女に影響を与えられたらそれも嬉しいなって思うんです。

今は時短勤務で業務時間が17時半までとなっていますが、この業界で仕事をしていると、場合によっては帰宅後に対応をしなくちゃいけなかったり、週末に動かなきゃいけない日もあったりしますよね。

会社全体が育児への理解度が高いので、短期で制作をするプロモーション系の案件よりも、時間をかけて進められるブランディング系の仕事を任せてもらえることが多いですね。会社の協力もあって育児と仕事が両立できているなあ、と。同僚のみなさんも打ち合わせの時間や締切の時間など気遣ってくださるので、それがあるからできていることじゃないかな。あと、私よりも先にお子さんが生まれた同僚がいたので、職場への復帰のタイミングについても柔軟に相談ができました。相談できる経験者が近くにいて、とても心強かったですね。みなさんにはすごく感謝してます。

世の中には、子どもが生まれると仕事の最前線から後退してしまうイメージを持っている人もいると思うんですね。仕事ができる時間も短くなってしまうので。それでも現にチェさんはBIRDMANの最前線で結果を残していますよね。それってすごいことだと思うんです。

私も任せていただけて嬉しい、という気持ちです(笑)。私が育児休暇から復帰したときに、最初に任された仕事がBIRDMANオフィシャルサイトのリニューアルだったんですよ。これは結構、というか、かなり嬉しかったですね。会社の顔になるものを、その世界観ごとつくれるのはやっぱり嬉しいです。

仮に私が母親になったとして、育児をしながら働くと思うと、果たしてチェさんのようにタフにやっていけるか不安ですね…!

いや、私も最初は辞めるつもりでしたからね(笑)。そのときにならないと分からないものだと思いますよ。

100歳になってもデザイナーでありたい

チェさんがこれからやっていきたいことは何ですか?

そうですね、今のところブランドサイトのデザインを考えることが本当に楽しいんです。プロモーション案件もとても魅力的でいいんですけど、私の場合はそのブランドのブランドらしさをしっかりと考えて、デザインで表現することに喜びを感じるんです。もともとブランディングに関わりたいという希望は会社の面談時にも話していたので、それが叶って嬉しいですね。

人間の寿命ってどんどん長くなってきてるじゃないですか。私は、100歳になってもデザインをしてるんじゃないかな?って思うんですよ。 今の業界の真ん中でいつまで仕事ができるだろう、という不安は、誰しもが持っているものかもしれません。けれどもそれは、会社や今ある働き方に限定して考えているから不安に思うことなんじゃないかなって、思うんですね。自分を取り巻く環境が大きく変化していたとしても、私はきっとデザイナーであり続けると思います。どんなときも、自分にできることは精一杯やる。それが私のデザイナーとしてのあり方だと信じています。

チェ・ヨヌク(ちぇ よぬく)

Art Director / Senior Designer
韓国ソウル出身。韓国のクリエイティブエージェンシーFID、ACGを経て、2007年よりBIRDMANに所属。
主な実績としてANA『IS JAPAN COOL?』、明治『 MEGUMI & TAIYO』、SONY『THE Z-TRIALS』、WARNER MUSIC-androp『BRIGHT SIREN』、Franck Muller『Crazy Artist』、uno『FOG BAR TV』、NIKON『 NIKON CONNECT!』など他多数。
受賞歴、カンヌ国際広告祭、THE WEBBY AWARDS、W3、SPIKES ASIAなど。
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