2001年から2010年末まで、バンド「LONG SHOT PARTY」のサックス奏者として活動していた梶原さん。
解散後は音楽クリエイター集団「agehasprings」でアーティストのプロデュースやディレクションなどを手掛けられ、
現在はBIRDMANでデバイスエンジニアとして活躍されています。エンターテインメント業界と、インタラクティブ業界。
2つの世界を見てきた梶原さんが、日々思うこととは?

2015.2.2

インタビュー:岡本真帆 撮影:竹内冠太 協力:横川遥、大塚恵利佳

バンド「LONG SHOT PARTY」で10年間音楽活動

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梶原さんはもともとプロのミュージシャンとして活躍されていたと伺ったのですが…

はい。2000年から約10年間、「LONG SHOT PARTY」というバンドのサックス担当をしていました。

あの『NARUTO』の主題歌を務めていたというのは本当ですか!?

はい、2008年に発売したメジャー移籍後第1弾のシングル“distance”がオープニングテーマに抜擢されて。その後も『続・夏目友人帳』の主題歌Jリーグのタイアップソングを務めさせていただきました。
活動の後半の方は演奏と曲作りだけでなく、メンバーの衣装や髪をスタイリストさんと一緒に決めていったり、PVの絵コンテをつくったり制作のマネージメントをしたりとディレクターのようなこともやっていました。

ブランディングやマネージメントまで!幅広いですね。2010年に、ファンに惜しまれながら解散されたんですね。

ボーカルのバセドー病が悪化してしまったこと、メジャーレーベルで活動するうちに「音楽を商売にする」という事に対する姿勢がメンバーの間で少しずつズレてしまったことが、解散理由でした。バンドなんでいろいろありますが、根っこのとこが気持ち良くできないなら意味ないですからね。解散後は皆、ミュージシャンや社長業とさまざまな分野でむしろ精力的に活躍してます(笑)。

フリーランスのディベロッパーから音楽ディレクターに

僕はバンドを辞めてからはしばらくフリーランスのディベロッパーとして働いていました。元々バンド活動をしていたころから、印税がないときや稼ぎが少ないときにWEB制作の仕事は受けていたので、それで食いつないで。その後、バンド時代の縁で音楽プロデューサー集団である「agehasprings」に加わりました。そこでは音楽ディレクターとして、いわゆる“人に振り向いてもらう仕事”をやってました。

“人に振り向いてもらう仕事”というと?

今のレコード会社はいろいろあって、どんな曲がどうヒットするのか、あるアーティストを売り出すときにどのタイミングでどんな曲を出して、どのようなブランディングをすれば良いのか…ということを時代の流れを読みながら判断していくのが難しいんですね。予算もないのに戦略がないまま露出を増やして人目を惹こうとしたり。
そこで、外部のプロデューサーという立ち位置で、どんな曲・歌詞でどんなアレンジが良いか、お客さんへの見られ方はどんなものが良いかというのを、具体的な言葉や戦略を持って、アーティストをヒットに導く訳です。ヒットにはいくつか普遍的な方程式があるので、それをその人、その時代に合う形で道筋を立て、「興味のない人にいかに振り向いてもらうか」ということを徹底的に考えて落とし込む。そういう仕事ですね。

ヒット曲を生み出し世の中に広めていくために、欠かせない存在なんですね。

その他にも、いろんなことをやっていたので社内では“何でも屋さん”のような立ち位置でした。
たとえば社内用のプロジェクト管理システムを一人でつくったり、自社アーティストを仕掛けるときに、変わったWEBサイトをつくったり。担当アーティストのレコーディングエンジニアなどもやってました。
他にもkinectを使ってライブ演出をつくったりと、社風的に最新技術を取り入れて新しいことにチャレンジする機会が多く、変わったことをやるときはすぐに「梶原ちょっと来て」と声をかけてもらってましたね。

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“ぶっ飛んだイカすもの”を作るために

世の中のステージ演出やPVが最先端のデジタル技術によって再びおもしろくなってきている中で、どうやって実現しているのかが少しずつ自分でも分かるようになってきました。一度、ステージ演出にテッキーなことを取り入れてみたのですが、音楽業界ってそもそも予算をとるのが難しいんですね。
担当していたアーティストのクリスマスライブの舞台演出をすることになったときに、ロウソク状に揺らぐ小さな照明200個が、全台独立して無線と設置箇所の音響で変化するデバイス群を制作しました。だけど実例のない演出は理解してもらうのが大変で、なんと制作に必要な予算は完成するまで確保してもらえなかったんですね。

それはヒヤヒヤしますね…!

それでもおもしろいものになるのは確信していたので、土日に夜な夜な独りではんだづけしてプログラム組んで。最終的にはライブに参加したお客さんにとても喜んでもらえるものが出来上がって、反応も上々でした。結果制作物もクライアントが買い取ってくれることになって。ほっとしましたね。
そのうち、ある程度の規模の予算がある中で、ぶっ飛んだイカすものをつくれたら良いなーと思うようになって、ユニークなことをやっていそうな会社を調べはじめました。そんな中でBIRDMANに出会って。2013年の11月ごろ築地さん(弊社代表)に面接してもらって、その場で「入ってやってみる?」という話になり、その場で入社が決まりました(笑)。

今はBIRDMANでどういったことをされていますか?

デバイスデザイナー、プログラマー、サウンドデザイナーという肩書きのもと、デバイスのセンサー周りの制御システムやアプリ開発を担当することが多いです。最近はインスタレーション、イベント案件が続いていて、『TOYOTA Esquire』『Sony Walkman』などに関わっています。自社プロジェクトとして制作したインスタレーション『ZEN TOILET』ではラッキーなことにディベロッパーの(阿部)啓太くんと一緒にロンドン出張もしました。この案件では音楽全般の制作も担当しています。
ホントに暇することなく、おもしろい案件に次々とアサインしてもらっているので、ありがたいですね。

“2回目”って、おもしろくない!

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普段、技術面の勉強はどのようにされていますか?

一番の勉強方法は、キツめな締切のある案件に入ってしまうことです。前例がない案件がほとんどなので、結局はやりながら覚えていくのが学習コストも低いし、早いですね。
その時点で明確でなくても、あの手この手で締切までにはちゃんと形にできるので、とにかくいつも思い切ってチャレンジさせてもらってます。

新しいこと、やったことのないことに挑戦するのって、不安はないんでしょうか?

うーん、僕、1回やったことがあることにはもう興味がないんですよね。2回目ってもうおもしろくないじゃないですか?(笑)
人によるかもしれないんですが、僕はすごく飽きっぽいです。常に新しいことをやっていきたいですね。

作り手には2種類のタイプがいると思うんですよね。いろんな方向に広く泳いでいくタイプと、どんどん深く潜っていくタイプ。梶原さんは前者なんですね。

たしかに、音楽以外あまり同じ場所に留まり続けたことがないですね。まぁ10年間バンドをフラフラやっていたこともあって、20代のころは所謂「働いた」「勉強した」という記憶がないですが…(笑)。「働いてる」って感覚があるのはここ数年で、今は「ちゃんと働かなきゃ」と思ってますよ。

あくまで持論ですが、特にエンジニアとしてやっていくなら一つのスキルや言語を極めよう!みたいなことはリスキーだと思っていて。
プログラマーとしてのレベルの話をするなら、世界のトップエンジニアとの比較でないと意味ないし、その一点で勝負するのはかなりの偏愛とコストと素質が必要です。
その割に、例えばiPhoneみたいなのが出て一瞬で不要になる専門技術は今後もたくさんある。なので僕はどんな状況でも「使える」知識や技術、感性を最重要視してます。一見無意味っぽいものでも幅広く知り分析することは、普遍的なエッセンスを知ることにつながります。
特に新しくチャレンジングな案件に携わりたいと思うなら、自分自身が常にアンテナを張る一方、普遍的な「そもそも人が求めてるものってなに?」っていうキモも分かってないといけないなーと思います。そういう意味では、前職までの知識をフルに活かしつつ、どんどんいろんな新しいことにトライしたいですね。

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テクノロジーが発達した未来、人類に残るもの

梶原さんが今後チャレンジしていきたいことを教えてください。

もともと興味本位で、どんなテクノロジーがどんな流れで生まれ、ハックされて、世の中を楽しく変えているのかを内側から見たくて、この業界に来ました。

新しいことにどんどんチャレンジするということ、そしてそれをエンターテインメントに落とし込めるような仕事がしたいですね。特に音楽業界はマネタイズとかいろいろ課題はありますが、その分参入の余地が大きいと思います。

これからどんどんテクノロジーが発展していくと、きっとWEBサイトってなくなっていくと思うんです。いろんなものがインターネットとつながると、インターネットは「アクセスする対象」から「見えない」インフラになっていく。あって当たり前のものになっていきます。さらに人工知能の発達が進めば、仕事も機械に取って代わられるようになっていくと思うんです。プログラミングもコンピューター自身が生成した方が早いので、プログラマーという職業自体、近いうちにほとんど無くなるでしょう。

そうなると人類に残るのは、エンターテインメントやアートのクリエイティブといった「感動」が得られる分野だけなんじゃないかなと。エンターテインメントは、生身の人間の体がある限り、みんなが求めるもの。みんないつでも感動したい。させてもらいたい。そういった部分の価値は今後ますます高まっていくと思うんです。

インタラクティブ業界とエンタメ業界がもっと仲良くなれるように、「技術」と「感動」を繋いでいくことにチャレンジしていきたいですね。

梶原洋平(かじわら ようへい)

Device Engineer
音楽家、プログラマー。2001年、プロサックス奏者としてバンドLONG SHOT PARTYに参画。Limited Records, R&C Recordsを経て、DefStar Recordsからメジャーデビュー。通算5枚のシングル、6枚のアルバムをリリースし、『NARUTO -ナルト- 疾風伝』や 『続・夏目友人帳』のOP、 2009年「スカパー!Jリーグ中継オフィシャルソング」など、数多くのタイアップでヒットを出し、2010年末まで活動する。バンドの解散後はクリエイティブディレクターとして2011年からクリエイター集団agehaspringsに参加。2014年1月BIRDMANに入社。これまで担当した案件は『KIRIN DREAM RACE』(KIRIN)、『Vitz HAPPY FOOTWORK計画』(TOYOTA)、『ZEN TOILET』(BIRDMAN)、『WALKMAN Hi-Res Symphonic Illusion』(SONY)など。
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